開港記念行事
顕彰者一覧(天文地理学)
小林謙貞
こばやし かねさだ(1601~83)
小林謙貞(名義信)は、長崎に生まれ、林吉左衛門について天文学や暦学を学んだ。正保3年(1646)大目付井上筑後守政重によるキリシタンの摘発で吉左衛門が処刑されると、自身も投獄されたが、21年後の寛文7年(1667)に釈放された。その後は長崎奉行牛込忠左衛門に重用され、多くの門人を育成した。天和3年(1683)の暦に記載された11月の月食予報は誤りと指摘、結局、謙貞の指摘どおり月食はなかった。同年12月、糸屋八郎右衛門宗勝に切られ、その傷が因で死没した。
西川如見
にしかわ じょけん(1648~1724)
西川如見(名忠英、通称次郎右衛門、号求林斎)は、長崎に生まれ、20歳代で学問を志し、南部草寿について儒学を、小林謙貞について天文学や暦学、測量学などを修めた。元禄10年(1697)の隠居後は著述に専念、その豊富な知識で名声を博した。享保4年(1719)72歳の時、8代将軍吉宗の命により盧草拙と江戸に上り、天文学や暦学に関する質問に答え、褒美を賜った。著書に『天文義論』『日本水土考』『増補華夷通商考』『長崎夜話草』『町人嚢』『百姓嚢』など多数がある。墓は長照寺(寺町)にある(市指定史跡)。
北島見信
きたじま けんしん(生没年不詳)
北島見信は、天文地理学者で、盧草拙の門人。享保4年(1719)8代将軍吉宗の質問に答える草拙と西川如見の江戸行に同伴した。元文2年(1737)ハルク作の天地両球儀の解説として『紅毛天地二図贅説』を訳述。そのなかでアジア州やヨーロッパ州に対し日本を中心とした蝦夷、朝鮮、台湾、南洋諸島を含む大日本州を提唱し「フォルチス・ヤマト(威徳ある日本)」と称した。延享2年(1745)天文方を命じられ、吉宗の命による貞享補暦事業にも関与した。