開港記念行事
顕彰者一覧(蘭学英仏語)
本木庄左衛門
もとき しょうざえもん(1767~1822)
本木庄左衛門(名正栄、号蘭汀)は、阿蘭陀通詞本木仁太夫の子として生まれる。安永7年(1778)稽古通詞、以後累進、文化6年(1809)大通詞過人になった。幕命でオランダ商館長ドゥーフや商館員ブロンホフにフランス語と英語を学んだ。文化8年(1811)英語学書『諳厄利亜興学小筌』の、同11年(1814)わが国最初の英和対訳辞書『諳厄利亜語林大成』の編さんに従事した。かたわら阿蘭陀通詞達とフランス語の学習を始め、わが国最初のフランス語学書『払郎察辞範』『和仏蘭対訳語林』を編さんした。墓は大光寺(鍛冶屋町)の本木家墓地にある。
吉雄権之助
よしお ごんのすけ(1785~1831)
吉雄権之助(名永保、号如淵)は、阿蘭陀通詞吉雄幸左衞門の子として生まれる。蘭学を志筑忠雄に学び、父耕牛及びオランダ商館医レッケのもとで外科学を修めた。文化8年(1811)小通詞末席になり、文政元年(1818)江戸番小通詞を勤めた。オランダ語に堪能で、鳴滝塾ではシーボルトの通訳を務めた。わが国最初の英和対訳辞書『諳厄利亜語林大成』の編さんに従事。文化13年(1816)の幕命による蘭和辞書『ヅーフ・ハルマ(長崎ハルマ)』の編さんでは商館長ドゥーフの指導のもと中心となって編さんに当たった。墓は禅林寺(寺町)の吉雄家墓地にある。
楢林栄左衛門
ならばやし えいざえもん(1773~1837)
楢林栄左衛門(名高美)は、阿蘭陀通詞楢林家の別家初代楢林栄左衞門の子として生まれる。文化5年(1808)小通詞並の時にフランス語の修得を命じられ、オランダ商館長ドゥーフの指導のもとフランス語学書『払郎察辞範』を編さんした。文化8年(1811)には英語辞書の編集方を命じられ、ブロンホフの指導のもとわが国最初の英和対訳辞書『諳厄利亜語林大成』の編さんに尽力した。以後、累進、天保元年(1830)大通詞になった。