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開港記念行事

顕彰者一覧(公益)

牛込忠左衛門

うしごめ ちゅうざえもん(1622~88)

牛込忠左衛門(名勝登、重忝)は、寛文11年(1671)から天和元年(1681)まで長崎奉行を勤めた。寛文12年(1672)長崎貿易に貨物市法を施行、長崎貿易を統制した。さらには延宝4年(1676)長崎代官4代末次平蔵茂朝配下の密貿易を摘発、平蔵茂朝を流罪にするなど辣腕を振るった。市中を80町に整備、長崎奉行所東役所を立山に移転(立山役所)、西役所と分離した。学芸への造詣も深く、延宝4年、立山書院を再興したほか、鳴滝の地名を京都の鳴滝にちなんで命名した。墓は宗参寺(東京都文京区)の牛込家墓地にある。

倉田次郎右衛門

くらた じろうえもん(生年不詳~1703)

倉田次郎右衛門(名義重)は、本五島町(五島町)で廻船問屋を営んだ。寛文7年(1667)長崎の水不足を解消するため、銭屋川(八幡町一帯)から水樋で市中に配水する工事を行った。工事は難航、巨額の工事費を捻出するために宅地と持船を処分したが、それでも不足、長崎奉行所から銀10貫目を拝借したという。工事は7年の歳月をかけて延宝元年(1673)ようやく竣工した。水樋は倉田水樋と呼ばれ、長崎の50余町に給水した。翌年、次郎右衛門は水樋掛に任じられ、以後も倉田家が同掛を世襲、幕末維新に至った。